雄島参り '18 (舞鶴市・老人嶋神社)


 「雄島参り」は、雄島(冠島・老人嶋)に鎮座する老人嶋神社に参詣するということだが、老人嶋神社は『三代実録』の元慶4年(880)10月13日条に「丹後国正六位上恩津嶋神」と見えて、式内社などよりも古く確認される。また『丹後風土記残缺』には、「凡海坐息津島社」「凡海息津島P坐日子社」と見えて、「セエの宮さん」も含めて、『残缺』が和銅6 (713) 年の勅命に基づいて編纂された各国別のいわゆる「古風土記」であるなら、奈良時代にはすでに両社の存在が記録され確認されることになる。
沿岸各地の漁民たちの信仰に支えられ続けた両社であり、「雄島参り」の行事も少なくともその当時からすでに行われていたものであろうと推測される。千年をユウに越える伝統をもつ行事である。
その祭日となっているのは若狭湾西部周辺の集落ごとによってマチマチ(6〜7月くらい)だが、舞鶴では例年6月1日に行われている。


雄島は、舞鶴市内だが、この島へ上陸できる機会はこの日だけ。
島はオオミズナギドリ繁殖地で、その保護のため普段は上陸が禁止されている。
野原・小橋・三浜の3集落共同の神社で、「雄島参り」の祭礼の日だけは上陸が許される。
今年もまた幸いにも野原の皆様の一団に加えてもらうことができた。
出航の様子↓野原漁港9:30



昨日は大陸から寒気団が南下していて、このあたりも雷とドャブリと突風の嵐だった。
その残りで海は荒れある。



「雄島参り」参詣船団・1万年伝統の競艇様式





 電動3軸ジンバルを使用しています、チト違う動画を見て下さい。


   老人嶋神社

 
老人嶋神社本殿の下側には船玉(魂)神社があったが、昨年の台風で後の木が倒れて、その社殿を押し潰した。今はその地がサラチになっている。今人が立っているところに建っていた。

(これは昨年のもの↓)

中には北前船の模型が奉納されていた。その船は今は籠屋に移されていた。
それを2、3コマ写したはずなのだが、写っていない。案内板だけは写っていた。

老人嶋神社の御船由来
本船之昔八幡船と称へられし船の模型にして若狭湾頭冠嶋に鎮座の老人嶋神社に奉納せられ沿岸住民は船魂社と称し航海安全、及漁業の守護神として尊崇し来りたるものなり。
明治五年六月旧船の腐朽せしにより若狭国西津新小松原の庄屋仁右衛門、船屋兵衛、糠屋平兵衛の船匠等の謹造なり。




祭礼・参拝の様子




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  狛犬の調査

 「離島の狛犬」が私のライフワーク、とおっしゃる鈴木氏が遠路東京から見えられた。すでにあちこちの離島に行かれた、 日本海側では、奥尻島、飛島、粟島、佐渡島、舳倉島、能登島、隠岐諸島を訪れられたそうたが、冠島はそうはいかないので困っておられた。そんなことで私達と一緒に、野原におジャマムシをした。

私はこの3対だけかと思っていたが、調べてみるともっとある。
『舞鶴市内神社資料集』という書の挿図↓

何時のどなたの調査なのか不明だが、ここに網羅されているようである。

上の写真の一番奥にあるものは、銘によれば、明治33年の野原の人々によって奉納されたもの。ちょっと赤っぽい色をしているが、鈴木氏によれば出雲の来待石(凝灰岩)製で、「出雲型」と呼ばれるものだそう。
その手前のちょっと青っぽいのは、銘によれば、慶応元年に若州高浜東町講中の奉納、台座にはたくさんの奉納者の名が彫られている。鈴木氏によれば、高浜内浦の日引石(凝灰岩)製、出雲型を参考にして造られたものようだという。
日引は当社の氏子圏だから日引石は多いのではなかろうか、石灯籠や石畳の石などもそうではなかろうか。

それらの下に置かれている↓コイツ。これはウン、反対側(向かって左)にあるのはア。フツーの置き方とは逆のよう。
屋内にあったのだろうが、ずいぶんと風化という劣化というか、ボロボロな感じに見える。しかしどこかの国の政治屋どもの魂の劣化、フハイよりはだいぶにマシ。

これは「越前狛犬」だろう、それも古い型かと思われる。鈴木氏によれば日引石だそう。
日引産か。越前禿を真似て日引で作られたものか。しかし「真似て」いるのかいないのか、わかりかねる。私がよく言う「狛蛙」だが、蛙でも犬でもないような面構えで、獅子ではなかろうか。舞鶴辺りでもけっこうよく見られる。
今は福井市になる足羽山の笏谷石(凝灰岩)の感じ。日本海が開いていく過程でたくさんの火山が噴き出し、その灰が海底に溜まり、この石になったもので、グリーン・タフ(緑色凝灰岩)と呼ばれる石。緑っぽく柔らかく加工しやすいがすぐに壊れる。越前狛犬は室町から江戸初期くらいのものとされる。
日引、来待、笏谷はいずれも凝灰岩の産地・加工地として知られた所で、ほぼ全国にわたって社寺などでこれらの石を使った石造品が見られるという。石質だけでは笏谷と日引は見分けがつかない。

京丹後市大宮町の高森神社に似たタイプの銘のある狛犬があり↓、「石製、高さ26cm、背銘に「文和四年己未五月七日」とある。文和4年(1355)は北朝の年号で小型ながら当市においては最古の年紀を有する狛犬である。現在は丹後郷土資料館に保管されている。」という。京丹後市最古どころかこのタイプの狛犬の全国最古とされる銘であるという。(Web情報による)。飛び抜けて古い狛犬である。
こんなに赤っぽい石なら、笏谷ではないかも知れない。来待石の色である。現物を見たことがないので、照明の関係とか全体の色の調整でこうした色に見えるのか、本当にこうした色なのかはわからない。京丹後市市教委の写真→

←丹後郷土資料館ふるさとミュージアム丹後の案内パンフの写真。
色としては来待石のように見えるが、こんな古い出雲狛犬があるのだろうか。もし出雲で作られたのならあちらでたくさん見られそうだが、そんなハナシは聞かない。籠神社の有名な狛犬や竹野神社の狛犬と同じ石の色のように見える、高森はコモリと読み、籠神社のコモリや大江町の河守と同じ名であり、オケヲケの伝説もある。凝灰岩の色は色々で、色だけではどこの産がわからないか。ナゾの丹後狛犬か。

『舞鶴の狛犬』という舞鶴市郷土資料館刊行の平成元年の冊子があって、それには「高森神社(大宮町)のこのタイプの狛犬には、天正2年(1574)の年銘がある」とあって、舞鶴らしくヤシっぽさが感じられる資料館だったが、今は行く気もないが、昔はそうだったが、コリゴリしながらアホがタラズにそれを信じていたのだか、やっぱり舞鶴情報のエエカゲンなものだった。200年も違うでないか。また「このタイプ」なのかもわからない。
『大宮町誌』には、「高森神社  延利小字古森
高森神社
一、狛犬  一対
高さ二六p、背銘に「文和四手巳未五月七日」とある。文和四年(一三五五)は北朝の年号で約六三○年前である。周枳大宮売神社に保管されている。
一、狛犬  一対
高さ二五p、「天正二年」(一五七四)の背銘がある。二基の中一基はやや破損している。」もう1対「大正五年十月三日」「当村上川市三郎」があるという。
調べがタリン、しかしどちらにしても古い。
文和というのは北朝の元号、南北朝時代のもので、この狛犬もあるいはその時代のものかもと推定される。私が想定していた時代より200年ばかりは遡るかも知れない。
本殿入口の両側に、右側に吽形、左側に阿形の狛犬が対で置かれている。



一番外側にこの狛犬1対↑。たぶん日引石なのだろうが、コケむしたうえに、あちこち欠けている。「慶応二年寅五月吉日 若州浦香田 漁人中」の銘がある。
この犬に上服をかけたり、荷物をおいたりしていることがあり、うっかり見落とす。


さて、本殿に観音開きの戸があるが、その戸の脇に3体の「越前狛犬」「越前禿」。カメラやストロボを持って行きようがなく、何とも写しにくい所に置かれている。銘はないようである。30センチほどのものである。だいたいはこれくらいの物が多いようで、アバウトで1尺物とかの規格があったのかも知れない。下にあるものもこれくらい、少し大きい程度であるが、あれよりはこちらの方が新型と思われる。


すっと屋根のあるところに置かれていたものか、ノミ跡クッキリで400年か700年かを経ているとは思えない風化の感じられないものである。
与保呂の神社などケッコウあちこちで見られるが、こんなにシッカリしているのはそうはないのではなかろうか。
私はこんな狛犬がここにあるとは知らなかった。鈴木氏も遠路やってこられたネウチがあったというものだろうか。これは大発見(私だけかも知れないが)。
笏谷石のこの狛犬を運び出したであろう三国港の新保浦などは天気がよければ、当島からでも見渡せる。
『舞鶴の狛犬』によれば、大丹生の熊野神社のこのタイプのもの(32センチ)には「越前国 三国 新保村 助左衛門寄進 元和7年(1621) 正月吉日」の銘があるという。
写真で見る限りはよく似ていて、老人嶋神社のこの狛犬はあるいはその時代のものかも…
当社の石造狛犬だけでなく、だいたいはこの3時期(室町期あたりと、徳川期の末期、それと明治中期)にほぼ限られている。この3時期に限り猛烈なセールスをかける者があったか、それともほかに理由があったものか…


  直会

 神事を終えると直会。あちこちで村々毎に行われる。ウマイ。今年もえらいゴッツォになりました。ありがとうございました。

この辺りを「御前」と呼ぶらしい。足元の丸い石はみな凝灰岩で、一つ一つみな色が違う。


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過去の参詣記録
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