![]() ![]() ![]() ![]() ![]() これを見れば虫送りは稲作と同時に日本へもちらされたものと考えざるをえない。全世界共通かはわからないが、少なくとも稲作地域は共通するように思われる。 日本では弥生時代からあった行事だと思われる、国家の発生よりもはるかに古い。 画像を見れば正装で執り行う大事な祭礼のよう、日本では滅びても中国では残りそうに思える。 民俗行事どころか日本ではそれを担ってきた稲作と農村が根こそぎに滅びてしまいそうなことであるが… ![]() 実際に効果があったのかとなると何とも頼りないことであるし、農薬や科学的合理主義に絶対の信をおく現代人からは、笑いこけるような児戯にも等しい行事と見えるかも知れないが、当時としてはこれ以外には何も打てる手もない真剣なものであった。現在でも世の諸悪が科学ですべて除けるかとなればかなりかなり怪しいというか人間の科学くらいではそうしたことはムリである、何千何万の医学博士がやっていても癌すら取り除けないではないか。科学は何も万能ではない、従って科学以前の「信仰」は人類史の終わる日までたぶん克服できず残り続けることであろう。農民はアホやなぁなどと笑うことができない、都市でも同様であった、ここでは人が密集し糞尿は垂れ流されていたため疫病の流行がこわい、都市各地の夏祭りはみな同じようなネライをもって執り行われ、悪霊は追い立てられ最後は川から海へ流され、黄泉の国へ戻される。虫送りを笑うなら祇園祭もネブタも笑うとよかろう。たぶん笑われるのはその当人自身であろう。 ![]() 華やかな「祇園祭」などと比べると「なんじゃこんなもん」かも知れないが、歴史はこちらが断然に古い。 与保呂の場合は、田畑の悪霊を火に集めて、その松明は与保呂川へ投げ込まれて終わる。ゴジラも海からあらわれて、海に去っていく、ああしたものと考えられていたかも知れない。 |
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![]() ![]() 「虫」は大蛇にも「稲の虫」にも仮託されているが、別にそうしたモノモノに限られたものでもなく、世に様々な禍いをなすと考えられた悪霊どものすべでのことである。 ![]() ![]() 7時30分くらいから手作り松明の審査が行われ、優秀作10本には賞品がある。何が優秀かは先例によってその時の偏見と気分次第とか。 (悪霊も怯え退散を決め込むようなコワ〜イ松明が、持ち手もカワユイのよりは鬼もジリっとあとすざりするような超鬼瓦級の顔がよいかも…) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この時期では最大級と騒がれた台風が来ていたのだが、幸いにたいしたことはなく雨も風もなかった。 ず〜と歩いて小学校の向かいにある育苗センターまで。空に満月、川面に映る松明、そんな所を写したかったのだが、ダメなような(゜´Д`゜) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「祇園祭」に駒形提燈が欠かせないように、悪霊は火や光で舟に乗せて海へと送られる。本当は松明は燃えたままで川に流される性質のものと思われる。お盆の精霊送りと同じになってくるが、鉦や太鼓の音や作り物の馬や牛に乗せたり人形に寄り憑かせたりして、祖霊も悪霊も、良い霊魂も悪い霊魂もそうして「この世」から「あの世」へと送られる。恐らく仏教以前からの稲作圏共通の民俗認識ではなかろうか。最近の花火大会などもこうした民俗行事の流れに乗るもので、どこかの町にように何もそうしたこともしないのに、花火大会だけは開くいうのは、アンコなしの饅頭頭である、魂入れずの仏様を有り難がっているような、稲作文化圏の悠久の歴史とは無縁なものかも知れない。 光が小さく弱くてこの光だけで写真を写すのはかなり難しいうえに、炎がゆらめかず絵として面白くない。昔の行事を復活させたものというなら昔の人がやっていたようにやること、2000年以上の伝統があり、凡稲作国共通のものをヘンに「日本風近代化」させてしまうとネウチがガクンと落ちてしまう、大事な所は変えないでほしい。 ![]()
![]() 『網野町誌』 ぬか虫送り
期日は一定しないが旧暦七月七日の七夕にする所もあり、大体は夏から秋にかけての行事である。藁で人形を作り(これが行事の中心になる)、人形の藁を苞(つと)にして団子そのほかの食物を満たしたり、害虫を篭に入れたり、葉に包んだりして人形に持たせる例もある。送る場所は村境や川・海が多く、また「虫送り場」という定まった場所へ送る例もある。鉦や太鼓をたたいたり、松明を灯したり、大声で唱えごとを斉唱したりする。唱えことぱの中に「実盛(さねもり)」の名が詠みこまれているところから「実盛祭」ともいう。木津では大正の初期頃まで毎年行われた。旧六月の初中旬頃、新暦では七月に当たる。行事の主役は子どもたちで、それに大人が加わるかたちとなる。鉦太鼓と共に『ぬか虫送るとて、高い山にゃ……』と唱和し田圃を一巡して村境まで送る。浜詰では田植後祈祷をする。島津では二番草と三番草との間にする。「ぬか虫送った」と唱え村の下の虫供養塚の前で全部焼く。郷でも村長が期日を決めて同様の行事を行った。しかし、各部落とも農薬が発達するに連れて廃止され、いまは全く行われない。 注 「実盛」=「斎藤実盛」生年不明、平安後期の武士、源義朝・のち平宗盛・平維盛に従って木曽義仲と戦い寿氷二年討死。ぬか虫送りを「実盛送り」ともいう。「実盛が稲につまずいて倒れたために討たれて稲虫になった」という伝説が全国的にある。 七夕 七月七日夜とかんがえられているが、元来六日夜から翌朝にかけての行事である。七夕は(本来旧暦なので)夏と秋との替り目の祭で、女・子供達が手芸の上達を願っての祭であった。六日早朝に里芋の葉にとまる露を集めて墨をすり、それで色紙・たんざくなどに絵・俳句・歌などを書き夕方若竹に付ける。それを軒先、庭、縁側に立て、祭壇を設けて茄子・すいか・トマト・団子・そうめんなどを供える。それらは七日の昼までに海や川に流す。浜詰では夜、行者講の人たちが行者の祭詞を唱えながら村中や田を廻った。七日にまつりものを海に流すとき海水浴をした。昔は七回海に入り、一日七回飯を食うのだともいわれた。 注 昔、二つの星が天の川を渡って会う話は、一部の有識者のものであった。庶民はこの日にすることは多くあった。この日「七回水浴し七回飯を食う」いい伝えも全国にある。 虫害
農業中心であった当時の社会では、以上のように生産活動を左右する気候の変化に非常に敏感であったが、それと同時に害虫の発生にも注意を払わなければならなかった。しかしこれも気候と全く無関係に発生するものではなく、特に風の吹かない状態が長く続く年は虫が付きやすく、人々は田畑を見回ったり風祭を行って祈祷をしたりするなど、被害を最小限に食い止めるための努力を怠らなかった。 これまでたびたび引用してきた『菖歳年代記集』や各村に残される嘆願書によって、どのような作物にどのような害虫が付いたかを示したのが表4−13である。この中でも稲は、それが主穀であり、年貢の中心でもあったことから領主に対する被害届の件数は枚挙にいとまがなく、防除に最も心血を注いだ作物である。しかし「いもち」のような稲の病気でさえも虫のせいだと考えるといったように、近世は病害虫に対する知識や虫の生態に関する科学的分析がきわめて乏しく、これが的確で効果的な防除を妨げていたことは否めない。 さて、近世この地域において最も一般的に行われていた防除法は虫送りと注油法である。虫送りについては、切畑村の入用帳にほぼ毎年その費用が記載されていることから、この地域では年中行事化されているようである。大蔵永常の『除蝗録』によってその由来と方法を見てみると、 西国の農家にてハ斉藤別当実盛、手塚太郎光盛と戦し時、実盛が馬稲株につまづきて落馬しけるを手塚取て押へ 首をかきたりしゆゑ、其霊魂蝗となり稲に害をなすよしの俗説をまうけ、大きなる藁人形を二ツ拵へ、紙にて 鎧を着たる躰に絵どり、其人形を竹にさし高くさしあげ、大勢声をそろへ御陣立御陣立実盛虫の御陣立、手塚どの にうたれて後富貴栄た、えいえい、わあと鯨波(ときのこえ)をあげ鉦・太鼓・螺貝を吹て田の大畔道を往きて、其人形と 松明を野辺あるひハ川の辺などに捨てかへる也 とあり、この地域でもこれに近い形で行われていたと思われる。 しかし、この虫送りを効用という点からみると、松明の火によって害虫をおびき寄せて殺すとか、螺貝や太鼓、鉦などの音響によって虫を驚かせ、水中に落下させて殺すなどといった説明がなされてはいるが、実際の効果はあまりなかったようである。迷信ともいえるこのような行事を続けた理由はむしろ、村人の動揺を鎮め、連帯感を強めて災害に一致団結して立ち向かう意識を高めることにあったのではないだろうか。 一方、虫送りに比べて注油法は現在の視点から見ればずっと科学的な防除法であった。その原理は、まず油を水田の水面に注ぎ油の皮膜をつくり、次に稲から害虫を払い落とし皮膜から出られないようにして窒息死させるというものであった。この地域の事例を見ると、天保九年(一八三八)に宮津藩領の各村から検見願が出されたが、そのなかで掛津、小浜、尾坂の各村がそれぞれ出した願書の中に注油法が採用されたことが記されている。(水島家文書) 表4−13 作物につく害虫 麦 そも、いなご、くだり 稲 ぬか虫、いもち、かいとふ虫 大豆 ぬか虫 蕎麦 さねもり 麻 さねもり 桑 さねもり、こうじう 大豆 かたつむり 栗 いもち 柴 かうちう虫 ![]() |
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