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   ツバキだっていろいろ(舞鶴自然文化園)



ツバキといえば、こうした花↑とばかり思っていたら大間違い、
バラやアサガオも、カボチャもイモある。
ジンセーいろいろ、オンナもいろいろ。ツバキだっていろいろ、咲き乱れる。
自然はゆたかで多様、オドロキのいろいろが特徴。
三月の中頃から四月の中頃にかけて、ツバキ展が行われているのででかけてみた。
園内はかなり広く、種類は多いので見落としがないように注意を。




   つばき展。ちょっとばかし見てまいりました (*^_^*)
「舞鶴自然文化園」はここが入口。三浜峠の頂上。向かいに駐車場がある。



ヤブツバキ↑ 子供の頃からのなじみのツバキで、私などはツバキといえばこうしたものと思っている。ここは観賞用にツバキを育てているので、林全体が明るい、明かるすぎる、ウソの「自然園」、庭園である。私が住んでいる所の裏山、椿川の上流などはこのツバキがあちこちによく咲いていて、立派な照葉樹林だが、その本当のツバキ林はもっともっと暗い、枝は四方八方へ伸びていて、常緑のけっこう分厚い葉がびっしりいっぱいに足元まで密集して茂る、ツバキはそう高くはならないが、周囲には背の高いシイ、カシ、タブ、クスなどの同じ照葉樹が茂って天空を覆い光を何重にも遮る、光が入らずいつも陰鬱で湿った暗い見通しのきかないあまり季節変化のない時間が停止した魑魅魍魎が跋扈していそうな、入って行けないし行きたくもない密林である。落葉樹林の方がはるかに気持ちはよい。



   つばきはエライ木 (*^_^*)
照葉樹は、ツバキのような表面に光沢のあるテカテカの分厚い、大きくはない葉をもつ常緑の樹種で、主にそうした照葉樹で構成される森林を照葉樹林と呼んでいる。
照葉樹林は、ネパール・ヒマラヤの高度1500〜2500メートルあたりから、ブータンやアッサムの地域をへて、ミャンマー北部を中心とする東南アジア北部山地〜雲南高地〜江南山地、そして朝鮮半島南部から西日本に達しており、この5000キロの一帯が照葉樹林帯と呼ばれている。←で言えばだいたい緑色の地域である。
この照葉樹林帯には多くの民族が住んでいるが、その生活文化はこの地帯共通の文化的要素によって特色づけられ、その文化は「照葉樹林文化」と呼ばれている。
その文化的特色は、モチ種の穀物、ナットウ、ナレズシ、コンニャク、麹酒や茶や蚕や漆などや後の稲作のほか、高床式の吊り壁とよばれる竹細工の壁の家屋、歌垣や鵜飼のような習俗、あるいは山の神信仰や羽衣伝説のような説話(磯砂山神話と少し違う、かぐや姫といった方がいいか)、さらには儀礼や神話など数多い。
こうした要素が「照葉樹林文化」に取り入れられた時代はいろいろであるし、取り込み元もいろいろである。日本に入ってくるのは一般に縄文の終わりから弥生の初めといわれる。文化の共通性ばかりでなく、民族は違ってもお互いに顔立ちもよく似ていることだし、日本の根っこの一つはここにあることは動かない。ツバキは日本人の歴史を知る木であろう。
三方五湖の鳥浜縄文遺跡からツバキの漆塗りの赤い櫛や石斧の柄が出土している。硬くて折れにくい、今でも印鑑やパイプ、将棋の駒などに使われるという。
飛鳥時代に大和三輪山の西には海石榴市(つばいち・奈良県桜井市)という大きなマーケットがあった、『万葉集』などにうたわれる場所である。今でいえばどのあたりになるのかその知識を私は持たないがここは日本一の繁華街であった。これはツバキ市のことで、ツバキと冠されるくらいであるから、主にツバキが取引きていたのであろうがツバキの何が取引きされていたのであろうか。ここはツバキの木ではなく、焼いたツバキの灰であったという。灰は釉薬にもなるらしいが、ムラサキの根で紫色に染める時に媒染剤としたという。紫は最上位の色とされていたため価値が高かったという。

同じ照葉樹のサカキやシキビなどは古来神事仏事に神聖な木として使われて、ハレの日の祭事には欠かせない。椿もまた神の木で椿山は神聖視されてきた。
椿山のツバキを折ると暴風雨が起こってたたるとされ、近づくのさえ忌み、椿山明神などの神が祭られたりする。羽黒山伏の峰入りでもツバキは供花とされるなど神聖視され、ツバキを門松にする所もあったという。平安期の宮廷で正月に作られた卯杖や卯故(うづち)にもツバキが用いられた。景行紀に、ツバキの故(つち)で土蜘蛛を討伐したとある、東北のイタコもかつてツバキの故を呪具としていたといい、この故を床下に置かれると霊界との交流を絶たれるという。子どものはしかや災難よけにツバキで作った故を腰につけさせる風習もあったそう。若狭の八百比丘尼は白玉椿の枝を手にもって各地を巡歴し、その旅先で実をまいたり枝をさしたりし、その生育のぐあいで神意を占ったという。雪国のツバキは彼女らが広めたものと信じられているという。ツバキを神木とする神社は各地にみられ、寺院や墓にも植えられ、昔話の中ではツバキは人影花として、人間の数だけ花をつけ生命の指標とされた。このため不幸がある、縁起が悪いといってツバキを屋敷に植えない所が多く、また花が落ちる様が首が落ちるようだといい、舞鶴あたりでも神仏に供えたり病人の見舞にもっていくものでないとされている。ツバキは古くは生命樹・世界樹だったのではなかろうか。
当園でも販売されているが実からとるツバキ油は整髪用に使われた。古くは中国では不老不死の霊薬と考えられていて、渤海使は帰国に当たってツバキ油を特別に請うたと『続日本紀』にある。

厚葉木あるいは艶葉木がツバキと転訛したのではと言われるが、漢字では古くは海石榴と中国式に書かれるが、後に春の木と書いて椿(国字)、春を象徴するのは桜ではなく本来はツバキなのかも知れない。
ツバキは中国では今は山茶花と書かれるようにお茶は椿の一種である。われらは毎日毎日ツバキを飲んでいる、不老不死の生命樹を飲んでいる。




 

↑これは園内ツバキ園の前半分、まだ半分があります。
この部分は少し古い写真しかありません。息子がこんな頃のもの…








ワタクシ的には、どちらかと言えば、この部分の方がおすすめ。


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