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  元伊勢八朔祭'12 





八朔祭12

「元伊勢八朔祭」は、内宮の皇大神社(元伊勢内宮)の行事。正面に天照大神、右手に手力雄命、左手に栲機千々姫命が祀られている。
近頃はすたれが著しいが、かつては年間8万人、3千人の宿泊者があったという、式年遷宮祭ともなれば、福知山から宮津までの宿々はみな参拝客で埋まったと伝えられる。
遠近の人々が特に雲集したという、この社の祭礼には、この八朔祭の練込みと節分の裸参りがあった。そうした過去の賑わいのカケラである。



                       

 「八朔(はっさく)」というミカンがあるが、ここでは旧暦の八月朔日(ついたち)のことで、伊勢神宮では、8月1日は「八朔参宮の日」と言われて、この日に神宮にお参りして、五穀豊穣や無病息災をお祈りする習わしが古くから伝わっているという。べつに神宮さんだけでなく、農村では重要な節日となっていたようで、「八朔節供」、「田実(たのみ)の節供」などともいわれて、稲の収穫を目前にしての豊作祈願や予祝に関したこと、および各種の贈答(贈物)が行われるという。民俗学的に全国的にこの日に執り行われるいろいろ興味ある風俗が知られているが、丹後ではあまり聞かない民俗である。ここ元伊勢内宮さんでは、月遅れ9月の最初の日曜日に午前中に神事が行われ、昼から練込みが行われている。


   ヤッコ練り込み、門前町参道


 奴の練り込み行列が内宮門前町の家並みをつききる表参道を進んでくる。笠鉾・鋏箱・立笠・台笠・槍・白浜・大鳥毛。そのあとに子供達がひく笹ばやしの屋台(大太鼓・小太鼓)と笛が続く。内宮集落の入り口、南端の「ふれあい広場」を午後2時に出発して、鳥毛廻しを演じながら、皇大神社石段下まで30分ばかりで到着する。




 参詣行列の圧巻の「大鳥毛廻し」。20kgの大鳥毛を空高く舞い上がる、少し回転させながらほうり投げて、相方が受けとる、みごとに受け取ると拍手がわく、ヤンヤンヤの大喝采とは見物人が少ないのでいかない、パラパラと拍手がある。「たいしたことありまへんなぁ」などと口の悪いカメラマンから陰口されたりしている、伝統を守るのはたいへんである、過疎高齢化は「大鳥毛廻し」にも大きな衰退のカゲをおとす、演じるメンバーの高齢化が気がかりで、やはり若い子が投げてる方が笠がきれい大きく開いているように思われる。



   






                       

麻呂子杉

 表参道300メートルの220段の石段、以前は、若き頃は、まったく問題ではなかった、こんな参道などは平坦な道に見えた、途中にすこし石段があるな、といった程度の認識くらいしかなかったのである。ところが、このごろは同じ石段が高く見える、ここはこんな高い石段だったか、この山が高くなったのか、もしかして隆起したのか、2倍くらいは高くなったかのように見えて、行く手を遮るそそりたつ大障害かのように写るのである。山が高くなったわけではあるまい、こちらの体力が半分になったのか、体調が悪いのか、それとも、ここの神様に「来るな」と言われているのか、記録する側も高齢化か…


                       

  雅楽奉納

 今回は雅楽の奉納があった。本殿に向かい合う神楽殿。



場内案内によれば、「打ち合わせ」という言葉は、雅楽の楽器同士で合わせるのがたいへんに難しく、何度も何度も「打ち合わせ」をしたところから発生したと、それから一番右で、笙を吹いている子は小5だそうである。
越天楽、五常楽、とあと一つを聞き逃したが、その3楽であった、舞はなかった。
「上手い」「塩梅」「滅多矢鱈」「野暮」「二の舞」「呂律」といった言葉も雅楽起源だそう。

   





  奴練り込み

 神社本殿前。



若い子だときれいに開くでしょう。ブーンと竹とんぼのように飛んでいく、お手本的模範的投げ方であろうか。
ところがちょっとおジイちゃんとなれば、投げても、ほら、そうはいかない。





   



 神社の麓を走る宮津街道(府道9号)は宮津藩の参勤交代の道で、その途上ここで行列をとどめたといわれ、そうしたことからこうした奴行列が伝わるのであろう。






                       

  ちょっとだけ、元伊勢八朔祭のお勉強

元伊勢八朔祭

 『大江町風土記2』
 〈 八朔まつりのいわれ
「雨がちっとも降らんが、今年はどうしたことかいのう」
「何とかせんと、畑のものも、田のものもみんな枯れてしまうがのう」
「何とかするいうたって、お天とうさんに雨がなけりや、どうにもならんじゃないかい」
百姓たちは空を見上げてはためいきをつくばかり。五月から三か月もつづいて雨が降らないのである。
「ぼんまにせっしょうな天とうさんにやなあ。いらんときにはジヤージヤーふらせて、一ぺんに水つきにしてしまうくせに、このいよわっとるのが分らんのじゃろか? 今年の冬は何を食て生きとるのやら…」
と涙まじりのぐちをこぼすおばさんもある。へだれのかおも、あつさとかなしみで元気がない。どの村でも、どの村でも、総出で高い山の上で大きなたき火をし、般若心経をあげて雨ごいをしているが、一向に雨は降りそうにない。その頃検地にまわった奉行明石文右エ門たちは、河守郷の庄屋たちと共に、元伊勢天の岩戸へまいって雨ごいのお祈りをした。
「どうぞ神様 雨を降らせて下さいますよう」と祈って、鳥居のところまで帰った。そこでみんなはもう一度土の上に平伏して、「私たちをおまもり下さいませんなら、元伊勢のやしろをとりこわしてしまいます」と一心にお祈りしていると、空がにわかにくもり、冷い風がスーツと吹いてきた。おそるおそる頭をあげると、鳥居の上に大蛇が大きなロをあけて、今にも飛びかかろうとしている。大きな口から赤い舌がでるのが、火をふいているように見える。みんなは生きた心地もなく、もう一度頭をすりつけ「どうもお宮をつぶすなどと悪いことを申しました。これから先、毎年八月のついたちには十三ケ村からねりこみをして、おまつりいたします。どうぞおゆるし下さとと言って頭を上げると 大蛇の姿もなく、雲もきえて元の通りになった。万治元年(一六五八)のことです。   (大江中 細見つるえ)  〉 

 『舞鶴史話』
 〈 元伊勢八朔祭の由来
元伊勢の八朔祭は昔から旧暦の八月一日に行われ、十三ケ村合同の同地方きっての大祭でありますが、それについては次のような伝説が語り伝えられています。今からざっと三百年前明暦四年の夏に未曾有の大かんばつがありました。農夫の憂苦は一しおでしたので時の将軍徳川家綱は江戸奉行明石文右衛門ほか四名の役人を諸国につかわして雨乞いをしましたが、一向きゝめがありませんでした。一同が元伊勢へやって来たのは同年の八月一日で、河守近郷十三ケ村の役人諸共内宮や岩戸へ参って雨乞いの祈願をこめましたが、短気な江戸奉行はその帰途神霊に向って『神は人の崇敬によって威を保つ、人は神の恵を受けて安穏なり、さればすみやかにこの民の苦難を救い給え、若し感応なき時は直ちに多人数を差し向けてこの神木は一切伐採すべし』と激越な事を申しました。その時一天俄かにかき曇って一同が仰ぎ見る一の鳥居の上に世にも恐ろしい大蛇が奉行をめがけてにらんでおります。江戸奉行はゾッとして今の暴言を詑びると共にただ今の願かなえ給わば毎年八月一日十三ケ村打揃い練込みのお祭をいたしますと誓約しました。すると大蛇の姿はかき消すごとく失せてしまって翌日からはしとしとと、田畑をよみがえさせる慈雨が降り出しました。こんなわけがあってこの地方の八朔祭は行われるようになったと申します。  〉 


 『大江町風土記2』
 〈 節分のはだかまいり
 四十二のヤク年の人や、病気の人は、外宮さんや内宮さんに、「とうかヤク年が無事にすぎますように。」といったり、「病気が早くなおりますように。病気をなおしてもらったおれいにはだかまいりをしますから。」と言って、おたのみしました。そして、節分には、そのおれい参りをしたということです。
 節分の朝は、がんをかけた人だけでなく、兄弟や親類の人たちもいっしょになって水で体をきよめ、男はまわし一つ、女の人は夏のゆかた一枚になって、こしにしめなわをしめ、はだしでまだ暗い雪の中をつれだって、「ほい、ほい」と、かけ声いさましく走って外宮さんと内宮さんへお参りしたそうです。
 明治二十年頃から、まるはだかで参る事は警察からとめられ、男もシャシ一枚だけはつけるようになったそうです。
 いまはもう、そんなことする人はありません。さむくて、かぜひきます。いまは、バスにのって参ります。
 昭和になってからは、はだか参りをする人を、だんだんみかけないようになりました。節分のばん、河守のコンピラさんの前と、公庄のイツキさんや、熊野宮社の前には、いまでも火をたいているのを、みなさんは知っているでしょう。はだか参りの人が、あたたまるためにたいたのが、いまものこっているのです。河守上の外宮さんと内宮さんには、和田山や綾部地方からまで、たくさん人がお参りにきたものでした。
 また、「節分あれ」といって、いろいろと参るとちゅうで、いたづらをしたそうです。人の通る道のまん中に、大きな石をおいたり、たんぼの小屋を、道にかつぎだしてみたり、店屋のかんばんを、とりかえっこしたり…。暗いのをいいことに、そんなことをする悪い習慣がながくのこっていたのです。
 いまは、そんな馬鹿なことをして喜ぶ人はなくなりました。  〉 



 当神社の由緒は↓

元伊勢皇大神社(元伊勢内宮)
元伊勢豊受大神社(元伊勢外宮)

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