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  城屋の揚松明 '19



       

2019(令和元)年、8月14日 pm10:00〜:20くらいの様子↑。
大型台風が接近していて、今回の開催も危ぶまれたが、幸いにも台風の影響はなかった。天候に関わりなく実施します、とはなっているが、暴風警報でも出れば、大きな火を焚き、火の粉が飛ぶものだから、消防からストップがかかるかも…
しかしそんな心配はどこ吹く風で、満月で青空、本当に青空と白い雲が見えてほの明るい、照明がなくても大松明が見える。
特別の許可で危険区域まで入って撮影しています。あと1メートル近ければ高さ16メートルから落下する火の付いた小松明に直撃されるヤバイすれすれ地点、何かカメラ用の頑丈なヘルメットでもないものだろうか。

事故などありませんようにと、お祓いをしてもらっているから大丈夫か…
       

台風の風が少しあって、例年には見られない火の粉が舞う。すごい量の火の付いたオガラがカメラの方へ飛んでくる。





  炎の芸術 ちょっとだけ…


      

      


      


     


     
城屋の揚松明は世界一美しい(ワタシの思い込みかも)

      


     

モエガラにも呪力あり、魔除けになるそう。拾って帰ろう。
      



(メモ)標準のままだと明るすぎの感じになり、-1か-2くらいか。暗い場所は明るいレンズが絶対に有利、合焦優先だと暗くて被写体が見えないのでシャッターが切れないこことが多い、シャッター優先でAFを切って手動、ピンボケ覚悟でとりあえず写す、手元のカメラも見えないので事前にセット。火が燃え上がると明るくなり普段通りに写せる。放物線は5秒くらいがいいか。対象は世界一美しい物、あとはレンズ次第努力次第ウン次第、少しウデ次第であるいはプロ級の大感動の写真が撮れるかも…

(地図)
  



 「城屋の揚松明」は、8月14日の夜10時、雨引神社境内で行われます。
 場所は雨引神社境内広場。駐車場や公共交通機関も申し訳ありませんが十分にはございません。自転車やタクシーなどでお越しいただければ、たいへんに助かります。トイレの用意はあります(公民館横)。狭いところですが、揃ってのお越しをお待ちいたしております。




  ちょっとだけ、揚松明の歴史民俗のお勉強



この団体なくしては揚松明はできない。
『火祭りの里 城屋』には、
「青年団
〔設立〕
明治三十五年(一九〇二)城屋に同窓会、由里に同志会、女布に共遊会があった。其の後高野村一団体に統一されて、同志会次いで協和会と改称された。明治四十二年高野青年会と改称し、後に高野青年団城屋支部となる。
〔高野青年団城屋支部〕
1、構成……団員、小学校又は各種学校を卒業し、城屋地区に在住する二十五才までの男子団員で組織する。但し一時期二十才までとなったことがあった。
2、組織と役員……会計、事業、文化、社交、体育部を置く。支部長 副支部長(会計部長兼務)、事業部長、文化社交部長、体育部長の役員を置く。
3、賛助会員……城屋支部を退部した三十才までの団員を賛助会員と称し、必要に応じ援助を要請した。特に祭礼の準備、綱打、揚松明の松明揚げ。
4、経費……昭和の初期(一九三〇頃)までは少額の団費を徴収した。以後は河原の青年の事業地(字山で籔と称していた)の真竹を伐採した代金、雨引神社の賽銭及び貰盆(祭礼の慰労会)の字よりの慰労金で賄った。
5、行事
 ●社会奉仕
(1)大正元年(一九一二)桃山御陵(明治天皇陵)造営工事の勤労奉仕を申し出る。
(2)大正四年大正天皇即位式の大嘗宮の棕梠繩及び茅草の献上。
(3)大正十年三月明治神宮造営工事の勤労奉仕。
(4)昭和三年(一九二八)昭和天皇即位式の大嘗宮の棕梠縄及び茅草の献上。
(5)昭和九年三月、永福寺にての敬老会に婦人会、処女会と共に慰安演劇を上演す。以後毎年行なう。
(6)昭和十二年九月、日支事変勃発後出征兵士の留居宅の農作業の勤労奉仕。
(7)連隊慰問、福知山二十連隊へ城屋出身者の慰問に訪問。
●恒例の行事
(1)竹伐……春秋の年二回全員一日出役する。細迫より登り河原古池家の上方の山、通称青年の籔(字山)にて三寸四寸の竹を伐る。午前中は主として伐る。枝を払う時先端を少し残す。昼食時下山する時先端を先にして二十乃至三十本束ねて引摺り降す。午後は午前中に伐った竹を降す者、降した竹を寸法別に束ねる者との分業とする。束ね方は小三、三寸、四寸に分類して束ねる。四寸以下は町の竹屋に壁下竹として販売する。秋は五寸以上の竹は野村寺、由里の竹細工屋に販売する。
(2)祭礼
(イ)天王神……祇園牛頭天王神七月一日、事前準備、祭礼後片付雨引神社祭礼用提灯調べ区長へ修理新調数を報告する。
(ロ)愛宕神社……七月二十三日、口城屋の青年のみで、提灯に点火してお参りする。
(ハ)雨引神社……八月十四日(昭和十五年頃までは旧暦の七月十四日)綱打を始め諸準備、揚松明、祭礼後片付、貰い盆まで一切貰い盆には賛助会員を招待する。
(ニ)観音祭……八月十七日、永福寺にて行なう。
(ホ)薬王神……九月、昭和四十五年旧場所西芳寺壇(竹内定右衛門家付近)に祭祠してあった時代、準備、祭礼後片付一切口城屋青年のみにて行なう。
(ヘ)荒神……十一月十三日、高張提灯、太鼓、祭礼等準備後片付一切、奥山の青年のみにて行なう。
(3)其の他
松茸狩り……昭和七、八年頃松茸山の入札制度が施行されるまで行ない、其の夜は松茸料理を賞味する。
6旅行
 ●徒歩旅行−明治の末期か大正の初期頃(一九一〇年代)徒歩で福井県上中より、滋賀県湖西、大津、京都市を経ての一周旅行。
 ●自転車旅行−奥丹後一周旅行、昭和九年四月二十九日発二泊三日の旅。宮津、丹後山田、山田の小学校の体育館泊、奥丹後より兵庫県城崎泊、円山川河畔山陰道を経て由良川沿いに帰る。参加者二十七名自転車のパンク多発し手間どる。
 ●琵琶湖畔経由京都一周旅行−昭和十四年四月二十九日発。二泊三日の旅、福井県上中より滋賀県湖西を大津泊、ゆっくり各地見学、京都市泊。丹波路を経て帰る。参加者二十三名。
 ●列車徒歩旅行−昭和十三年四月二十九日発一泊二日の足の訓練旅行。亀岡駅下車大阪府能勢妙見へ徒歩、妙見より園部へ園部泊、園部よりるり渓へ徒歩往復、園部より列車、昭和十二年支那事変勃発により、昭和十四年軍隊へ入営予定者多く最後まで足に豆を作りながら頑張った。参加者三十名。
 ●自転車挫折の旅−昭和十四年四日二十九日発一泊二日の自転車旅行の予定であったが、亀岡で参加者の大半が完走、覚束無くなり、亀岡駅より全員自転車を舞鶴駅止で送り返し、列車で京都へ行き一泊し翌日汽車にて帰る。参加者二十四名。
7、体  育
 ●運動会
  o高野地区、毎年秋、城屋・野村寺・由里・女布四ヵ字、部落対抗運動会。
  o三ヵ村・四ヵ村対抗運動会、最初は高野・中筋・池内の三ヵ村であったが、後余内が加わって四ヵ村となり、会場は輪番で行なう。
 ●野球大会
  o高野地区、四ヵ字部落対抗野球大会 優勝部落には花輪を授与する。
  o三ヵ村・四ヵ村野球大会 優勝村には花輪が授与された。
8、文化活動
 ●書初展−予め題字を定め、用紙は各自持て半折の画仙紙に書き、昭和五年までは正月の二日に雨引神社の舞堂に展示して、青年の新年の互礼会の席上、互選で入賞を決めた。昭和六年以後は正月元日に永福寺に展示し字の互礼会に参列の人達に観賞して貰い入選を決めた。太平洋戦争になり取止めになった。
 ●弁論大会−昭和の初期から弁論大会が始り、昭和十年から十六年太平洋戦争が始まるまでが最盛期であった。高野弁論大会(三ヵ村・四ヵ村連合弁論大会)や舞鶴町市連合弁論大会等が開催された。城屋にも優秀な弁士が一人いて、各大会に参加して毎回必ず入賞していた。
 以上の諸行事は、戦時体制となり在住の青年が少く自然消滅となり其の時期は不明である。
9、婚礼祝辞……青年団員又は賛助会員の結婚式には、社交部長が式場で祝辞を読み、祝儀金一封と祝辞で祝った。昭和二十三年まで続いた。
10、終戦後……民主主義の世の中に変わり男女平等が唱えられるようになると青年団も男女が一緒に行事をするようになった。旅行、海水浴、弁論大会、市連合運動会、社交ダンスの練習会等。
 城屋字の行事については雨引神社の行事だけは男女一緒に参加し、他は男子だけで行った。一時文化青年団をつくると言うことで十名余り脱退者が出た。その翌年から青年も少なくなり、雨引神社の祭りだけは総代や区長とも相談して祭り青年会を発足させ、戸主の応援も得て今に至っている。
 因みに当時、市連青の弁論大会で優勝した者も出たし又府連青網野体育大会で優秀な記録を出した者もあった。
 昭和二十八年頃には市連青、高野青年会も極めて活動が低下した。」
とある。

何やらむつかしい話のようだが、ワタシめの青年団の思い出といえば、ヤッパ何といっても酒が飲めるということだろうか、ワイワイギャギャーと皆で毎晩のように飲める、こんなに楽しい所はない。酒のない青年団というのはなくて、どこへ行っても死ぬほど飲ませてくれた、どこの青年の話を聞いてもみな同じ、北は北海道から南は沖縄まで日本国中、青年が抱える問題はみな同じだった、日本というのはこんなに狭く、どこで切ってもみな同じ顔、こんなに単純なものなのか、これはみなでやれば解決できると思った。
青年団へ来ようかという青年は率にすればわずかであろうから、その青年全体のミナの力がそろわない、それは仕方もなく、揃う努力もしながらも、揃うだけのわずかな人数でも前へ進めていくより方法はなさそうである。やればできる、頑張って下さい、日本の未来は城屋の将来はキミたちしかない、良くするも悪くするもキミたち次第か。バカ先輩が偉そうにスンマヘン…


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